弁護団声明

 東京海上日動事件は、東京高裁第5民事部において、本日(平成22年2月3日)和解が成立して解決した。その内容は、原告団が、正社員として、引き続き保険募集業務に従事することを保障し、その労働条件は、会社が大きく踏み込む内容となった。

 和解手続では、当初から、小林克己裁判長は、正社員として保険募集に従事しうることを目指して進行させたいと表明してきた。そのことが、この和解の前提であり、基本的精神であることは、和解成立にあたり、あらためて裁判長から確認された。和解内容では、定年後もシニア社員として、保険募集に従事し、退職後、個人で代理店を開業する場合も、従来の保険契約を継承できることが合意されている。

 和解内容の基本は、別記、和解内容骨子に記載したとおりである。具体的な労働条件は、会社制度の枠を基本としながら、次のとおり、その枠内で最大限配慮される内容となっている。
 業務内容は、100%保険募集に特化すること、転居をともなう勤務地変更はなく、従来どおり、事業場外みなし労働時間制が採用される。従来の年収が維持される経過措置がとられる。会社が、裁判上、昇給モデルを提示したことを踏まえて、人事考課は公正に行われる。定年後も、シニア社員として65歳まで就労が可能とされている。
 就労の受け皿として、会社は、100%出資の子会社の専門代理店を設立して、その存続に努めることとされた。専門代理店は、会社が、裁判上、「可能な限り効率的で、存続可能性の高い体制の検討」(平成21年9月2日付け上申書)の結果として設立されることとなった。この専門代理店は、設立5年目以降、客観的に存続が困難な状況が生まれたときには、労使協議がなされることとしている。
 結論として、和解内容は、原告団が保険募集に従事することが認められ、職種・勤務地限定契約が維持される。専門代理店への出向は、正社員としての身分を保持したままなされ、労働条件の不利益性は、相当、緩和したものとなっている。

 和解を実現した力は、何よりも、原告団が、闘いに立ち上がり、その闘いを全損保が全面的に支援したことによる。この団結を軸にして、金融、地域、全国と、働く皆さんが応援した。  労働組合が、なかなか、組織全体としては、労働争議を支援しにくい状況の下で、全損保は、個人加盟の単一組合であることの特性を生かして、東京海上日動の闘いをみずからの課題と位置付けた。そのことに弁護団は敬意を表したい。この闘いには、60年という全損保運動、直接的には、東海闘争、朝日闘争の経験が十分に承継され、生かされることとなった。
 闘いのなかで、東京都地方労働委員会における実効確保勧告、労働委員会命令等重要な成果が積み重ねられてきた。中でも、大きな分水嶺となったのは、東京地裁民事36部の勝利判決である。難波裁判長を含めた36部は、外勤社員制度が廃止される前に、事前差し止めを認める判決を出した。会社は、この判決を受けて、高裁に控訴しながらも、特例措置として、原告らの保険募集業務継続を承認した。画期的な地裁判決は、事実と道理にもとづいて展開した訴訟活動の結果である。あわせて、地裁1階の大法廷を含めて、傍聴席が一杯とされるだけではなく、40名を超える原告団が、毎回、当事者席を埋め尽くした力が、裁判所を動かしたとみることができる。
 法廷外の闘いは、弁護団は直接関与しなかったが、原告団、全損保、そして支援の皆さんが、500万枚のビラを配布し続けた。そのことは、近来の労働事件ではなかったことである。その力が、平成21年6月の株主総会で、社長の「踏み込んで解決いたします」との回答に結実している。

 この解決の成果は、誰よりも、損保産業に働く労働者全体のものである。業界再編成という激動の状況の下でも、経営権という会社の主張を許さず、雇用と基本的労働条件を守らせたことは、今後へと繋がる重要な意義を有している。
 これまで、日本の労働運動は、日産プリンス事件等、職種限定労働契約を守らせるための闘いを組んできた。本件では、100%出資の子会社が設立され、正社員の身分を保持したまま就労するという方式で、職種限定労働契約を守らせることとなった。このことは、平成20年に施行された労働契約法を豊かにさせる成果である。
 更に、不況といわれる下でも、闘いによってこそ、雇用と労働条件は守られ、また守れたという結果は、この国で働く労働者全体を励ますものと思われる。

 弁護団には、若い弁護士が参加して、原告団からの聞き取り、証人尋問を担当した。その若々しさもまた、地裁判決にいたる原動力の一つとなった。 また、この和解は、担当された小林裁判長の定年退官日前日に解決されることになる。最後に、この裁判に関わった多くの皆さんに弁護団として感謝を表明したい。

(弁護団 牛久保秀樹、加藤健次、平井哲史、板倉由実、
今井史郎、浦城知子、富本和路、久保田恭章、宗藤泰而)



このページのTOPへ