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渡辺 治さん 「改革」政治の矛盾と
07年参院選挙・「大連立」騒動
の流れの本質を読む



一橋大学大学院社会学研究科教授
渡辺 治さんインタビュー
渡辺治さんと吉田委員長  聞き手 全損保委員長 吉田有秀(写真左)

このインタビューは、全損保、全国金融共闘、銀行労働会の共同で、2007年12月18日に行なったものです。その内容を編集した要約版は、すでに機関紙「全損保」2008年冬号に掲載しています。また、全文は、金融労働調査時報2008年1月号にも掲載される予定です。
1.2つの「改革」の破綻と矛盾の全体像
吉田) 安倍政権が崩壊し福田政権となり、政治はますます混迷の度を深めていますが、その根底にある構造は大きく変わっていないように思います。行き詰まりと混迷の日本の政治・社会の全体像についてまずお話下さい。
渡辺) 90年代以降、日本の保守支配層が進めてきた、アメリカと一緒に戦争をする国になるという軍事大国をめざす「改革」と、大企業の競争力を強化するための「構造改革」という2つの「改革」の破綻と矛盾が顕在化してきたのになお強行せざるを得ない。それが今の政治や社会の行き詰まりや、衆参のねじれの原因にあると思います。

■軍事大国化への「改革」のつまづき

 軍事大国化の問題については、90年の湾岸戦争以来、財界やアメリカの強い圧力を受けて政府は自衛隊を海外へ出動させる試みを続け、ようやく小泉政権のもとで、自衛隊をインド洋海域やイラクへ派遣した。しかし、憲法9条はそのままなので、武力行使ができないという大きな限界つきの派兵でした。
 これがアメリカの苛立をかえって誘う形になり、いよいよ先延ばしにしてきた改憲をやらなければいけなくなった。改憲に対しては国民の強い反発が予想されるので、自民党結党以来、歴代総理大臣は改憲を言いたくても言えなかったのですが、安倍さんは、これを言わずして軍事大国化の完成はないという強い圧力のもとで、自分の任期中の改憲実行を公約しました。安倍政権は改憲の切り札政権として登場したのです。
 2007年7月の参議院選挙では、その改憲タカ派路線への警戒心と不満が、大敗の強い要因になりました。しかし、アメリカの圧力は相変わらず強いし、なんとかしなければいけない。切り札である安倍があんな形で倒れた後だと、同じような形で改憲を提起するわけにはいかない。それどころか、インド洋での給油すら後退しかねない状況すら生まれた。安倍の強硬路線がかえって明文改憲 スケジュールに齟齬を来す状況を生んでしまった。これは、保守の支配層から言えば、「混迷」ということになります。

■「構造改革」への怒りの噴出と手直し

 「構造改革」についても、90年代に入ってから、財界が非常に強い圧力で強行を求めてきたものです。これまで自民党政治は、大企業に対する保護と介入により経済発展を促進する開発政治と、経済成長の中で停滞している農業とか地場産業に利益誘導型の政治の二本柱で自民党政治の安定を維持してきた。とくに後者は自民党の地方支配を支えていましたから、財界の言う通りにバッサリと切るということは、自らの首を絞めることになるのでなかなかできない。苛立った財界の圧力と期待を担って「構造改革」を初めて本格的に強行したのが小泉政権でした。
 その結果、大企業にとっては非常に望ましい競争力の回復ができましたが、競争力のない地場産業や地方は切り捨てられ、リストラと非正規化により階層間格差と貧困が深刻化し、自民党政権のもとで曲がりなりにもあった安定した国民統合に大きな打撃が加えられた。このまま「構造改革」を強行するわけにはいかない。そうかといって構造改革をやめるわけにもいかない。
 こうした行き詰まりの下で登場した安倍政権は、「構造改革」の破綻を新保守主義的な形で手直ししながら「構造改革」を強行するという路線をとりましたが、実際には新保守政策はほとんど効果がなかった。「構造改革」に対する怒りが参院選での安倍自民党の大敗を招いたのです。
 福田政権も、財界の意を受けて「構造改革」を強行しなければならないが、このままではとても続けられない。今まで構造改革急進派の立場にあった民主党は、小沢代表の下参院選で突如反構造改革に「路線転換」しましたから、このまま福田政権が「構造改革」を強行するようなことがあれば衆議院選挙で大敗は必至だ。しかし、手直しするとなると、財界が「構造改革を止めるのか」と圧力をかけてくる。
 いずれにしても、2つの改革の強行による矛盾の顕在化という問題と、それにもかかわらず改革を強行しないことには保守支配層の目標は貫徹しないという中で、自民も、民主も行き詰まりの状況にあります。片や構造改革に対する国民の不満をどう吸収するか、片や財界・アメリカの圧力を受けてどう貫徹するか、という二つの要請の間で股裂きになっているというのが今の状況です。
 しかし状況は民主党も同様です。今回、反構造改革、反軍事大国化のマニフェストで勝ってはみたものの、アメリカと財界のものすごい圧力が加わった。このままでいくわけにはいかない。かといって衆院選前に再転換したら、国民から二度と顧みられないかもしれない。
 そういう自民、民主双方の行き詰まりの中で苦肉の策として出てきたのが、大連立だと思いますが、このように、今の政治の混迷の最大の原因は、2つの改革の遂行が隘路に膠着して、参議院選挙で否応ない形で顕在化してしまったということに原因があると思います。


2.「保守二大政党制の当面の機能不全と突破策としての「大連立」の論理
吉田) そこをいかにして突破するかということがテーマなのでしょうが、「二大政党制」自体、90年代から「自民党政治」の行き詰まりを突破するためにつくられてきたものだと思います。それがいま、うまく働かない。これはどうしてなのでしょうか。
  ■98年参院選結果から保守二大政党制を構想
渡辺)  実は、自民党一党支配という、ヨーロッパやアメリカにはない政治体制というのは、大企業本位の政策を、系統的に官僚機構を使いながら遂行していく点では、安定した非常に良い形でした。しかし、90年代に入って、グローバリゼーションの下で、自民党政権が改憲と構造改革をやる必要に迫られると、この一見すばらしい自民党一党政権は、改革には全くふさわしくない体制だということが分かってきたわけです。軍事大国化や構造改革を強行して倒れるようなことがあれば、政権は、絶対にあってはならない、共産党の参加した民主的連立政権になってしまう。
 ここに気がついたのは、本格的な消費税率アップや健康保険料値上げなどを強行した98年の参議院選挙で橋本内閣が大敗したときです。自民党が大敗して、共産党と民主党が伸びた。当時の民主党は、財界からは保守二大政党制の一翼とは評価されていませんでしたから、「こんな状況になったら政権交代になっちゃう。体制を変えなきゃいけない」ということで、あの時点から保守二大政党体制づくりの構想が生まれた。
 財界としては、アメリカ型の「共和、民主」の体制をつくって、自民が倒れれば民主という形で、交互にキャッチボールをしながら構造改革をすすめていかざるを得ないと。軍事大国化も、もし改憲問題を出すのなら、保守二大政党の連携で実現するしかない。いずれにせよ自民党一党政権から、保守二大政党体制へ変えることによって、構造改革を安定的に遂行させるという構想です。
 財界は、自民党は、地方の利益誘導型政治を抱えているので構造改革漸進派、大都市部を支持基盤とした民主党は急進的な構造改革派という分業構想をもっていたと思います。

■「左」の存在が民主党に「保守二大政党制」の枠を超えさせてしまった
  07参院選と「大連立」の修正騒動


 ところが実際には、この保守二大政党構想には重大な限界がありました。小泉政権が急進的な構造改革をやって、企業のリストラ、雇用の非正規化をすすめ、他方ではセイフティネットとなるはずの社会保障や年金とかに大穴をあけると、深刻な社会統合上の危機が生じてしまいます。ここで保守二大政党制が働くはずだったのですが、ここまではっきりと構造改革の矛盾や改憲の矛盾がでると、もう1つの保守政党である民主党は、選挙で勝とうとすれば、保守政党の枠を踏み破って反構造改革を出さざるを得なくなったのです。しかも、アメリカと違い、日本には社民、共産のように明確に反構造改革、反軍事大国という旗を立てている政党がある。国民はその旗をみますから、民主党が選挙で勝つには、より急進的な反構造改革の旗を立てざるを得ないのです。「構造改革」の痛みが出ていれば出ているほど、民主党が「構造改革は推進するが、もうちょっと違う形で」とは言えないわけです。その結果、小沢民主党は「反構造改革」「反軍事大国」「イラク撤兵」まで公約に言わざるを得なかった。それで大勝した。
 しかし、この大勝は、保守二大政党体制の枠を超えちゃっているわけですから、財界にとっては、このまま民主党が政権を取ったらとんでもないことになる。財界には、保守二大政党制にも限界があるということが分かってしまったわけです。
 こうした大きな文脈で言えば、「大連立」というのは、保守二大政党制からはみ出してしまった民主党を、もう一度保守二大政党体制の枠に組み込み直すための手だてだと思います。
 自民党から言えば、「大連立」の思惑は、民主党がテロ対法の延長反対とか、イラク撤兵を打ちだしたため、国民の関心が反軍事大国の選択肢の方へ振れてしまったのを、もう一度「日米同盟」「国際貢献」に引きずり戻して給油活動を再開するために、民主党に妥協を迫る。これが短期の目標です。長期的には、構造改革の問題で、民主党をもう一度構造改革の路線に引き戻すことです。参院選で、民主党は福祉国家的な政策を出し、しかも財源的には掌を返すように、消費税の税率アップはしないと言ったわけで、このままではどうしようもない。自民、財界としては消費税増税を言わざるを得ないが、民主党が税率維持を言っているときに言ったら選挙に負ける。しかし、民主が政権を取っても財源はどうするということになりますから、いずれにせよ民主党は消費税をあげることには賛成だ。しかし自民も、民主も単独では言いたくない。そこでこうした課題は大連立で、というのが自民の思惑です。
 片や民主の方は、拳を振り上げて国民の賛成を獲得したものの、その直後から、猛烈に財界とアメリカから「政権政党としての自覚はあるのか」と圧力を受けた。小沢氏としては参議院選挙に勝った直後に、安倍政権のもとで衆議院選挙をやって、政権を取ったら「こっちのものだ」と、思っていた。政権をとってから民主党を、保守二大政党路線に戻すと思っていたはずです。ところが福田首相になって選挙が先に延びるともたない訳です。選挙が延びれば、国会で財源問題や国際貢献の追及を受けざるをえない。かといって公約を降ろすわけにもいかない。民主党の公約を変えるには、ただ一つ。大連立を組んで、政権の一角となって、「国益のためには仕方がない」という形で妥協するという以外に手がありません。
 「構造改革」にしても、軍事大国化にしても、保守支配層の予想以上に厄介な課題であることが改めて安倍政権の崩壊で明らかになった。これを突破するためにどうすればいいのか。保守二大政党制もうまく機能しないという中で出てきたのが大連立ということになります。
■「大連立」せざるを得ない3課題─消費税・改憲・選挙制度─とそのイメージ
吉田) 大連立というと、戦前の翼賛体制を思い描いてしまいますが、実際の「大連立」は、どのような姿をイメージしたらいいのでしょうか。
渡辺)  小沢氏は、70年代の西ドイツの大連立構想を口にしていましたが、それと違うのは、日本のそれが小選挙区比例代表並立制のもとでの「大連立」であることです。この制度の下では、ずっと選挙時においても連立を組み続けるということは、事実上、不可能です。ほとんどの選挙区で自民、民主がたっていますが、一政党内でも死活にかかわる候補者調整を、2つの政党で行うのは不可能です。ですからおそらく、「大連立」といっても、選挙では一度止めてたたかうが、終わったらまた組み直すという形だと思います。
 ですから実際上は、恒常的な翼賛体制をつくるというよりは、消費税や憲法という、どちらの政権にとっても火中の栗を拾うのが嫌な問題で「大連立」を組んで両党共同でそれを突破して、選挙ではたたかうという形にならざるを得えません。組まざるを得ないのは、構造改革の問題では消費税。軍事大国化の問題では改憲、もう1つは選挙制度です。
 選挙制度については、共産党、社民党を潰す改革を狙う可能性があります。小選挙区制のもとでは、恒常的な連立は不可能ですが、両方の政党、また財界にとって保守二大政党が安定しない、より大きな問題は、アメリカ型二大政党になっていないということです。アメリカ型の保守二大政党制は、二大政党以外に政党がないために両党の選択肢以外に国民は選択肢がないことが特徴です。ところが、日本では、公明も社民も共産も議席をもっている。そうすると国民は常にその旗をみる訳です。あっちの旗とこっちの旗ということになれば、民主は自民に対抗するには勢い、共産、社民の旗に近寄らざるを得ない訳です。それをやめない限り、保守二大政党制の枠内で運営することは不可能です。
 この旗を切って捨てるために、さらに比例を減らし、小選挙区を増やす。ゆくゆくは480選挙区全部を小選挙区にしたい。こういう方向に向けての選挙制度の改正を一歩でもすすめたい。だから、翼賛体制を強固に組んで選挙も一緒になってたたかうという方向よりは、むしろ、保守二大政党体制を純化しながら、両方が手をつけたくない、国民に犠牲を強要するような課題についてだけ組みたいというのが今の方向性です。こうした大連立構想は、衆議院選挙前にはともかく、必ず出てきます。


3.07参院選後の新しい局面を見る3つの視点
吉田) この混迷は、国民本位の政治に変わる契機だとも言われていますが、本当にそうなのか、黄信号が灯り始めているような気がするのですが。
■「改革」への初めての国民の批判と、衆院選後の「改革」歯止めの可能性
渡辺)  「構造改革」にしても、改憲問題にしても、小泉さん、安倍さんと、初めてそれを強行したんですね。その結果、日本では初めて「構造改革」や改憲に対する批判が、民主党に対する得票という形を通じてではありますが、出たと思うのです。こういう形で反構造改革の票が噴出したのは、本格的な構造改革の遂行のもとでは初めてだと思います。そういう意味では「構造改革」、軍事大国化を見直す大きなチャンスが到来したことは事実だと思います。
 2005年までの民主党は、「構造改革」と軍事大国化を自民党と競い合ってきた政党ですが、それが突然、選挙目当てとはいえ、反構造改革、反軍事大国へ転換したわけです。とくに農家戸別所得補償、子ども手当て、教育財政の五割増し、高校学費無料化などです。その民主党に国民は期待している。ですから07参院選での民主党の躍進は旧い民主党の躍進とは全く意味が異なるのです。それは民主党議員そのものも分かっているわけです。ですから財界の圧力を我慢して衆議院選挙も「反構造改革」でいくと思います。
 自民党政権の方も、本当は反構造改革的な手直しをやって衆議院選挙に臨みたいんだけれども、こちらは、残念ながら政権を担っているので、財界とアメリカの圧力との関係でいっても、公共事業投資の若干の増額やカネで手直しをする程度のことしかできないわけです。おそらく衆議院選挙まではこういう形でいくでしょう。そういう意味では、事態の全貌が明らかになるのは、衆議院選挙から選挙後にずれ込むだろうと思わざるを得ません。
 じゃあ、衆院選までは手をこまねいてみているだけかというとそうではありません。民主党が衆院選でも反構造改革を掲げ続けると、今度は非常に強い公約になってくる訳です。さらに民主党は追いつめられます。共産党や社民党が衆議院選挙で一定の議席を取った場合には、参議院選挙後に生まれたより大きなキャスティングボードを握ります。まず民主党が躍進したけれど単独過半数は取れないという時、民主党政権を作るには、共産、社民と組まざるをえない。そうなれば、改憲、恒久派兵法、消費税は止まります。つまり保守二大政党制の枠を超えざるを得ません。それが嫌だったら大連立となります。
 民主党が「大連立」に行くか、共産や社民と組んで政権を取るかは、逆に言うと反構造改革の国民の声がどれだけ強かったか、にかかってきます。そういう意味で言うと、衆議院選挙の結果が非常に大きな影響を与えることになります。それ次第では、「構造改革」や改憲に歯止めをかける可能性もあるのです。今の国民の意思が、民主がいきたくても自民と組めない状況をつくっているのは非常に大事だし、衆院選でそういう方向が強まるよう追求しなければなりません。
 もう1つ大事なのは、たとえ大連立をつくった場合でも、第3極があった場合には、消費税や改憲がやられてしまうと国民が判断した場合には、国民は大連立の真の意図を見抜くことができるという点です。その結果、有権者は自民・民主のキャッチボール体制から抜け出て第3極に流れます。第3極があるかないかというのは、その点でも重要です。「大連立」という桶から水があふれようとしても受け皿がないというのがアメリカです。逆に言えば、第3極があれば「大連立」ができたからといって、何でもかんでもやっちまえというふうにはいかないのです。

■国民の体験型政治学習の始まり

 さらに重要なのは、国民は、「構造改革」に反対する政治とか、軍事大国化に反対する政治を、一歩一歩学んでいくということです。その意味では、民主党がどんな政治をやるかということを知るには体験が必要だということです。国民は今、反構造改革を民主党がやってくれるかをみていると思うのです。そこで自民と組んだら「何だ、これは」となるし、期待に応えればそれなりに支持を獲得する。国民自身の体験を通じて、国民自身が学習していく作業が今始まったところです。そういう意味では新しい政治局面が、いま始まったという段階です。


4.役割発揮せず「アメリカ化」するマスコミ
吉田) 参議院選挙後、先生は「国民は観覧席に座るな」とおっしゃられていていました。国民が衆参与野党逆転後の政治をしっかりと見ているか、意識の変化という点で、参議院選挙から現在までの間をどうご覧になっていますか。
渡辺) その点で第1に指摘しなければならないのは参院選による与野党逆転という新しい状況を国民に知らせるうえで、マスコミの果す役割が重要であることが改めて確認されたことです。また、マスコミの限界がはっきり出たことも指摘しなければなりません。

■逆転参議院での積極的試みの報道が弱いマスコミ

 というのは、参議院選挙が終わって民主党が参議院で多数になった。しかし衆議院は逆に自民がとっている訳ですから、たとえ参議院先議で議案が通っても衆議院では法案が通らないのですが、実際には参議院で様々な試みが行われています。
 例えば国民新党が盛んに言っていた郵政民営化を見直す法案は、財界の神経を逆撫でするなということで、最初、民主党はのりませんでしたが、最終的にはそれにのり、社民党や共産党も賛成して通っている。こういう法案はいくつもあるのに小さくしか報道しない。「どうせこんなものは衆議院で駄目になるさ」という発想だからだと思います。
 つまり、報道する側、マスコミが、既存の政治構造の枠組みの中にあるわけです。しかし、今参議院で行われていることは、衆議院選挙いかんによっては通る可能性があるのですから決して軽視できないし、反構造改革的法案の場合は、自民党が衆議院で否決しても、それを大々的に報道されたら自民党は困りますよ。だから、単に言葉の上で「ねじれ」というだけではなく、現実に国会で今起きていることを「自民はこの問題については反対しましたよ」「民主は公約はこういっていましたが法案は出していませんよ」などというふうに具体的にきちんと報道することが、国民を陶冶していく上で非常に大事なことです。
 国民は「知る権利」があるといっても、マスコミを通じてしか学習できないわけですから、マスコミが果たす役割は非常に大きいのですが、その役割を発揮していません。

■新しい政治の本質みず保守二大政党の枠にこだわる

 それどころか、参議院選挙後、非常にはっきりしてきたのは、日本のマスコミの「アメリカ化」です。どういうことかと言うと、アメリカの有力上級紙は、例えば、ニューヨークタイムズが民主党というように、基本的には保守二大政党のどちらかに立っています。これが日本で初めて起こりつつあって、朝日・毎日が民主、読売・日経が自民、産経がタカ派、という感じになっています。
 自民党一党政権時には、マスコミが自民党政治から一定の距離を置いて、国民の側の平和の意識や利益誘導型政治批判の意識を代表しながら、横並びで政権に対して対処していた。ところが、特に近年、マスコミが大きな意味で保守二大政党にコミットするようになっています。自民と民主にそれを代表させて、どっちをとるかという形でこれからの政治体制をすすめようとしています。報道で言えば、自民、民主の報道の比重が圧倒的となり、他党の報道はつけたり程度となっています。民主か自民かではなくて、構造改革か反構造改革か、軍事大国か反軍事大国かという点で、政治が大きく揺れ動いているという新しい政治状況は伝えていません。自民党の政治が民主党の政治に代わることで大きく変わるんだ、そこに自民が抵抗しているという流れで描いています。
 これが、参議院選挙後の状況の中で、国民が必ずしも一貫した傾向を示していない結果に表れています。例えばテロ新法については、最初は反対が多かったのが、国際貢献が必要だという意見で賛成が増え、今度は、守屋問題が出てきて反対が増える。民主党に対する評価も行ったり来たりしている訳です。これはどうしてなのかというと、「今の政治は全体として自民党から民主党への政権交代を巡る過渡期ですよ」という報道の中で、世論が形成されているからで、これは大きな問題だと思います。


5.憲法をめぐる状況
■改憲とは「戦争をする国」か非武装の平和・繁栄の道かを世界の中で問うこと
吉田) 憲法改悪とは一言で言ったら、どう説明できるのでしょうか。
渡辺) 90年代に入って、冷戦が終焉し諸地域が大企業本位の1つの世界に組み入れられるようになりました。その世界の秩序を守るために、アメリカと一緒になって、日本が戦後60年近くやってきた「戦争をしない国」という国是を放棄して、戦争をする国になろうという動きが台頭しました。そのために絶対に突破しなければいけないハードルは憲法9条でした。そこでこれを変える改憲が台頭した。日本のこれからの100年をみたとき、これは決定的に大きな分岐点になる。
 改憲を阻止することになれば、これまで60年間、ジグザグがありながらも追求してきた、「武力によらずに国益や平和を実現する」という道を、日本だけではなくて、アジアレベルで実現していく可能性が開けます。憲法改悪を許してしまうか、それを阻むかは、アジアと世界の中で日本はどう生き、どんな役割を果たしていくのかという点で決定的な影響力をもちます。
 この間のアメリカのアフガン侵攻、イラク侵攻の犠牲を払ってようやく世界の中で、武力によって本当に平和や民主的な政権が実現できないことが明らかになりつつあります。あれだけ圧倒的な軍事力を行使したアフガニスタンでもイラクでも実現できていないわけです。逆に北朝鮮の6カ国協議では力による粉砕ではなく、協議によって核兵器禁止を迫っていくことしか無いし、それが現実的だということが分かりつつある。そういう意味で言うと、9条の理念が、世界の外交の中で実現しつつあるときに、それとは逆の道を選んでいこうとしている。
 ですから、改憲を一言で言えば、アメリカと一緒になって戦争をする大国として日本がやっていくのか、それともそういう大国でない形で世界と日本の平和と繁栄を確保していくのかという道が問われているということです。
■安倍政権崩壊による改憲派への打撃とスケジュールの狂い
吉田) 安倍政権がいなくなって、改憲は表立った動きにはなっていませんが、いま言ったような動きが現実の政治の中では、どういう風に取り扱われて、どのような方向付けをされていくのでしょうか。
渡辺)  改憲派にとって安倍政権が倒れたことは大きな打撃だと思います。自民党は、改憲を1つの目標として結党された政党です。それにも係らず結党以来21人の総理大臣が改憲を言えなかったということは、それが国民の気持を逆なでするような課題だと分かっていたから、厄介でやりたくない課題だったのです。いくら財界とアメリカから言われたって、やっぱり政権は安定したいですから。それを安倍氏はわざわざ取り上げたわけです。しかも改憲手続法まで強行した。これは重大な新しい段階に入ったことを意味しています。その政権が倒れてしまったということは、改めて国民の中に改憲の大きな抵抗帯があるということを証明したということなのです。
 こうした抵抗帯の存在は選挙であらわになりましたが、すでにその前から兆候はありました。例えば読売新聞の世論調査では、2004年以来、改憲派が直線的に減っています。2004年は、自民党が本格的に改憲を準備し始めた年です。同時にそれに対抗する9条の会がつくられた年でもあります。そこから連続的に「改憲賛成」が下がっているのです。そこに安倍政権が登場し任期中の改憲を打ちだすと、さらに「改憲賛成」が減ってしまった。
 こうした流れをみれば、福田政権が何も言わないというのは当たり前で、言いたくても言えない状況です。この点はまず抑えておくべき第1点です。いまこそ、改憲を運動によって阻む可能性が生まれてきた。

■福田政権における改憲戦略の練り直しと私たちの課題

 しかし第2に言わねばならないのは、保守支配層は決して改憲をあきらめるわけには行かないという点です。財界と、特にアメリカの苛立ちが非常に強くなっているし、インド洋海域での給油もできなくなる。一体日本は何をやっているのだという圧力がものすごく強くなっています。ところが政府は正面突破をはかって失敗したために、根本的な戦略の練り直しが必要になっていると思います。
 新しい改憲戦略は大きく言って2つあると思います。ひとつは、もう一回解釈改憲に戻り、これを追求するという戦略です。明文改憲で強行突破をはかって、保守派の人たちからも反発をくった。護憲派とはとても言えない人たちまでが安倍の改憲だけは良くないと言いだしたし、安倍さんのような改憲は日本を戦前に逆行させるという危惧を生じさせました。さしあたり、明文改憲はできない。そこで解釈改憲を先行させ、自衛隊の派兵を国会承認を経ずに行えるようにする。安倍政権の追求した集団的自衛権の見直しは反発が強いので、民主党も乗りそうな恒久派兵法という形でやろうというのです。国連原則を緩める形で、とにかく武力行使以外のものについて恒常的にアメリカに協力する体制をつくり、アメリカの怒りをなだめつつ、改憲に向け、もう1回陣列を立て直すという戦略です。
 第2番目の戦略は、改憲の陣列を立て直すときに、壊れた民主との関係を回復する点に最重点をおくという民主取り込み戦略です。改憲発議には三分の二の多数の賛成が必要ですから、民主党を抱き込まないことんは改憲発議はできない。ところが、安倍さんは改憲手続法を強行してしまい、一生懸命つくってきた民主との協議を壊してしまった訳です。これをもう1回再建する。とりあえず、衆議院選挙まではケンカした形をとらなきゃいけないですので無理ですが、衆議院選挙が終わってから、大連立を含め民主の抱き込み路線がかなり大々的に始まると思います。そうすると改憲の中身も、安倍風の復古的な中身からぐっと変わって、「新しい人権」や「国際貢献」を中心とした内容に少しシフトすると思います。
 そういうことで、当面、私たちが考えなければならないのは、1つは、いまのチャンスに、どうやって私たちの運動の隊列を見直して運動のバージョンアップをできるか、それとも、このまま解釈改憲で、民主党との協議路線でやってくるのを手をくわえて待ってしまうのか、という問題です。もう1つは、さしあたり解釈改憲に対しては、恒久派兵法がもっている危険な役割を明らかにして、これに全力を集中する必要があるということです。恒久派兵法をつぶすことができれば改憲策動に非常に大きな打撃を与えられます。


6.日本国憲法・9条と21世紀の国際社会の構想
吉田) こちらの隊列を立て直すというとき、積極的に平和憲法をこれから未来のシンボルとして位置づけて、打ち出していくということが大事になっていくと思います。将来の日本に、日本国憲法、特に9条を位置づけると、どんな像になるのでしょうか。
■自衛隊を9条が拘束していることの大きな意味
渡辺)  9条は、冷戦終焉後の、21世紀のアジアと日本の平和と社会のあり方を方向付けるものだと思います。1つは、冷戦終焉後、ブッシュ政権の下で、「ならず者国家」を転覆し、力で市場民主主義の国々にすることによって世界の平和が実現できるという言説が、一時期強く言われましたが、それがうまくいっていません。北朝鮮の問題では、そうではないやり方である程度協議が成立している。9条の打ちだす「武力によらない平和」という考え方が現実化してきました。
 第2に日本は、運動の力によってすでに憲法9条を単なる理想にとどめず、一定の制度に具体化しているという点です。確かに自衛隊をつくることを許してしまいましたが、50年代以来の憲法9条を実現しようとする運動の力によって、自衛隊は、9条に拘束された、非常に特異な軍隊としての存在しかできなったということです。
 それはどういうことかといえば、自民党政権は明文改憲ができない状況の下で、「自衛隊は自衛のための最小限度の実力であるに過ぎないから、9条に禁止された戦力ではない」と強弁した。侵略されたときには戦うけれど、国益実現のためや国際紛争解決のためには使いませんと主張したのです。その結果、自衛隊はあるんだけれども、経済大国に見合ったような形で核兵器は全くもてない。防衛費もGNP比1%にとどめざるをえなくなった。海外侵攻用の兵器の装備も制約された。もし海外侵攻用の兵器をふんだんに持てれば、防衛費がGNPの1%の枠に留まっているなんてことは有り得ない。3倍、4倍という兵器を買うことになります。そういう様々な制約を持った特異な軍隊として存在しています。そして何と言っても最大の制約は、「自衛隊は海外派兵をしない」という約束をせざるをえなかったことです。これが他国に脅威を与える軍隊となることを防いできた。自衛隊は、53年の歴史で未だに人を殺さない軍隊になったのです。

■60年、9条実行してきた日本の実績は、
  説得力ある21世紀国際社会の先駆的モデルとなりうる

 アメリカのように、あるいは戦前の日本のように、軍事力によって相手国に有無を言わせず自分の国益を押し付けるという外交をしなかったから、戦後日本は、戦争責任をちゃんと反省しないのにアジアに受け入れられたし、安心して日本企業は進出することができたわけです。こうした方向での外交とか安全保障が、21世紀の先駆的なモデルになっている時代になってきています。
 例えば6カ国協議で、日本は全く能動的な役割を果たしていませんが、実は日本が一番発言力が大きいはずです。なぜかといえば、6カ国協議では各国が、北朝鮮に核実験を禁止し、核兵器の放棄を迫ろうとしている。しかし、主要メンバーであるアメリカも、ロシアも、中国も核大国です。アメリカは1030回も、ロシアは700回も、中国も45回も核実験をやっている。それをダブルスタンダードで、北朝鮮だけはやってはならないというのはどう見てもおかしいわけです。
 本当の意味で北朝鮮を納得させて、核を放棄させることを強制することができるのは、日本と韓国だけなんです。9条に基いた非核三原則を敷延して東アジアレベルで核の不使用決議、核実験の禁止、核弾頭の廃棄、縮小を合意にしていくことになれば、強力に北朝鮮に圧力をかけることができるわけです。
 日本の9条は、これからのアジアとか世界の平和を考えていくときに、これしかないという解決の原則を示しています。イラクを本当に安定させるためにも、中東大会議による一括解決、イラクの非武装化しかないかなとなりつつある。我々が9条にもとづいて60年間の間つくってきた様々な原則が、むしろ国際的な原則として適用していく可能性が出てきた。21世紀の国際平和の構想というものを9条は先取りしていると思うのです。
 武器輸出禁止三原則もそうです。世界の軍事紛争は、ほとんどが地域紛争が武装化することによって発火しています。チェチェンにしてもチベットにしてもいまの民族、地域紛争は、軍事化しなければある程度解決できます。紛争が軍事化する最大の原因は簡単で、武器の移転です。だから武器移転を禁止すればよい。武器を製造できる国は限られていますから、武器の流入さえ抑えられれば、紛争の軍事化はなくなる。イラクの泥沼化も、アメリカの侵攻以降、大量に武器が流入しているからです。中国やロシア、アメリカ、ドイツなどの兵器が流れ込み、紛争を軍事化しているのです。武器移転を厳格に国際的にコントロールすれば、まず紛争がそんな長続きするはずがありません。イラクも自身で武器をつくっていませんから、紛争の軍事化はさけられる。ところが武器を売っているのは、アメリカ、中国、ロシア、フランス、イギリスなどの大国です。この製造移転を抑えればよい。世界で武器移転を禁止している大国は日本だけです。だから武器移転の禁止を、国際的なルールにしていく。
 このように、核も通常軍備の問題も、9条をアジアレベルで、世界レベルで実現していくことがこれからの国際社会の平和構想になるし、その担い手として日本の政府が非常に大きな役割を果たせるはずです。
 9条の原則が、世界的には一部の市民の間にしか知られていないのは、日本の政府が積極的にそういうものを掲げて外交をしてこなかったからです。政治を変えて9条の原則を外交上の原則として活用することが重要です。

■憲法は戦争原因=貧困なくし福祉実現する世界とアジアのモデルにも

 もう1つ非常に重要なのは、戦争を最終的に食い止めるのは、世界レベルでおこっている、いまの大企業本位の海外展開と新自由主義がもたらす格差と地域破壊、貧困の増大を食い止めなければならないということです。世界の貧困や格差をなくさなければ、紛争の軍事化をおさえることはできても、紛争そのものを解決していくことはできないのです。
 それには構造改革をやめて、新しい福祉の国をつくり、日本はアジアの崩壊した地域の経済援助と支援によって、国民経済を再建していくとりくみを強めないと、世界のバランスのとれた発展はなかなか難しい。当面、アジアレベルで競争を制限するような形での経済発展を考えるために、EUのような共通経済圏をもって、日本の1/32の賃金の中国の労働者と日本の労働者が競争させられるのではなく、中国の賃金を上げていく。環境規制基準もあげていく。そうやって、アジア地域でそれぞれの国民経済と弱小産業が生きていけるような、経済圏をつくっていく。その点では、現代のグローバル経済の下では、人間らしい暮らしをする権利という日本国憲法25条を中心とした諸原則は、東アジアのレベルでの経済圏をつくってはじめて実現しうるものだといえます。いずれにせよ、こうした格差と貧困を解決しないと、最終的には東アジアの発展というのはできない。
 そういう意味でも憲法の9条だけでなく、同時に福祉の理念というのも掲げていくことが大事だと私は思います。


7.憲法実現の大きな運動に果たす労働組合の役割
吉田) 労働組合が憲法問題にとりくむ意味や意義についてどのように考えておられますか。
■反改憲の潜在意識は運動によってのみ顕在化し力となる
渡辺)  国民の多数を獲得していくことは、改憲を阻むために大事な課題です。潜在的には国民の多数は9条の改憲に反対していることは、いろんな世論調査でも明らかだと思います。読売新聞の調査でも51%の人が9条改憲には反対と言っています。これがどのくらいかというと、参議院選挙では6000万人が投票していますから、3000万人が潜在的には反対だということになる。ところが07参院選で憲法改悪に反対した共産党や社民党に入れた人はあわせても750万人。残りの2300万人くらいの人たちは、9条改憲反対という気持ちをもちながら自民党とか民主党、公明党に投票しているのです。みんなが潜在的な意識を持っていても、それが声にならないと力にならないわけです。
 この潜在的な意識を声に出す、力にしていくには運動がどうしても必要です。運動によってしか国民の潜在的な声というのは顕在化し、力になることはありません。
 それを直接的に担ったのは全国で6500を超えている「九条の会」だと思いますが、その中心を担っているのは、労働組合に結集している労働者です。もちろん労働組合以外に多様な市民運動もありますが、労働組合が、潜在的な声を顕在化するための国民の声を力にするための大きな担い手だということは、はっきりしていると僕は思います。そういう意味でいえば、労働組合が、この間の改憲反対の運動においても中心的な役割を果たしてきたことは否定できません。

■構造改革と軍事大国化の両方を闘う労働組合運動の大きな役割

 では今後、このままでいいのかというと、そんなことはありません。大きな課題があります。1つは労働組合が国民の過半数を結集するということになると、まず労働者の過半数を結集することが必要です。これが大きな課題です。大企業の労働者だけじゃなくて、中小や零細企業、非正規も含めた過半数をどう組織していくのかを考えることが不可欠です。そのためには平和の問題だけでなく、いまの労働者を襲っている構造改革、リストラと社会保障切り捨てに反対する闘いが重要です。
 いまの改憲の動きというのは、直接的には軍事大国化の衝動から出てきていますが、その背景にはグローバル経済を大企業本位に変えていく世界秩序づくりの要求があります。ですから軍事大国と構造改革は同じ根っこから出てきているのです。その被害者であり、またそれを阻止して、新しい福祉本意の社会をつくっていく中心的な担い手は労働者なのです。世界的な構造改革の中で一番被害受けて、リストラとか、失業とか、非正規化に苦しんでいるのは、どこの国でも労働者だし、どこの国でも新自由主義に対抗するのは労働者です。そういう意味で言うと、改悪を阻み、その実現を目指す中心的な担い手は労働者で、大企業本位の新自由主義の世界に対して、どうやって立ち向かっていくかという中心的な課題をになう労働組合の役割が非常に大事です。
 そこで労働組合の役割は、狭い意味での憲法とか9条というだけじゃなくて、労働組合に組織されていない大量の非正規労働者たちの生活を守っていくという課題とか、労働組合が反構造改革の課題の先頭に立っていくとか、そういう点でも大きな役割を担っています。
 「労働組合は、改憲反対で頑張れ」といっても、それは、労働組合が9条オタクになってもらいたいということではありません。9条改憲反対の闘いと同時に、いま労働者たちが直面している構造改革に反対する大きな運動をつくっていく。それ自身は必ずしも無理に改憲反対に結びつける必要はないわけで、反構造改革の大きな運動があって初めて、反改憲の大きな声に結集できると思うので、その点では、両方のたたかいは根源でかなり結びついていると思います。
 1950年代の総評労働運動は、平和と独立の闘いの先頭に立ちました。「労働組合は、経済生活を改善するのが本分だ」という人たちの言い分に反して、総評がなぜ平和の問題をたたかったのかといえば、平和なくして労働者の生活はないんだという信念と再び戦前のような愚は冒さないという反省でした。それが、労働運動が9条改憲に反対する運動の中心になることにつながっていった要因だと思うのです。
 そうした伝統を引き継ぎながら、同時に労働者が直面している構造改革の問題で、それに反対してどれだけたたかえるかが、改憲を阻んで日本の社会を転換していく力になります。平和の問題だけなら市民運動もできる。しかし、構造改革に反対して、福祉国家的な日本に転換していくことには、組織された労働者が本格的なたたかいの先頭に立たないといけない。そういう意味でいえば、反構造改革という初めて出てきた国民の声をどうやって力にし、政治を変える力にするのか、大きな意味で憲法を実現する運動として労働組合が果たす役割は非常に大きいと思います。
吉田) ありがとうございました。


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司会) あとはいくつか自由にいまのお話に絡めて出していただければとおもいます。


■アメリカ経済の不況と日本経済のゆくえ
吉田) いまサブプライムローン等の問題で、アメリカの基軸通貨体制が揺らぐくらいグローバル経済が混迷しています。アメリカ自体が一国主義を修正していかなければならないということもありうる情勢かと思いますが、それと日本に突きつけられているアメリカの要求がどうかわっていくのか、その点はどうでしょうか。
渡辺) なかなか難しいですけれども、簡単にいうと不動産バブルと金融バブルがはじけてしまったわけです。現代ではアメリカの経済と中国の経済がリンクしあっていて、その両国の市場への進出によって、日本のグローバル大企業の景気回復があるわけです。昔だったら輸出と国内市場と両方あったけれども、新自由主義によって国内市場は完全に縮小し、負担軽減と規制緩和で強化されたグローバル企業の強烈な競争力の展開先は、もっぱらアメリカと中国なわけです。だからアメリカのサブプライムローン不況が世界経済に波及したときにまず倒れるのは中国だと思いますが、中国とアメリカが倒れると、日本はもっと深刻な不況になることは間違いない。だから共倒れを防ぐために、全力を挙げてアメリカをサポートするという形になると思いますね。これができなければ、日本はアメリカと中国を上回る危機に直面せざるを得ない。財界の危機感は非常に深いと思います。
 もう1つは、その場合にはアメリカはどうするか、という話ですが、今度の大統領選で民主党政権ができた場合にはアメリカは更なる強い新自由主義的な市場開放など障壁の撤廃を求めてくるはずです。共和党政権の場合でもおそらく同じような形でやってくると思うんです。  それと中国の方も、経済がかなり厳しいですから、ここもなりふりかまわず輸出だということになってくると思うんですね。
 日本の経済にとって見ると、二つの市場での競争と一層過酷な競争と市場開放が要求されて、階層間格差と貧困化、地場産業の崩壊という問題がさらに深刻化してくる。
 世界はグローバリゼーションと新自由主義への対応をめぐって今、いくつかの地域に分かれています。先頭集団ですでに反新自由主義の新しい潮流が台頭しているラテンアメリカ、いまようやっと大きな痛みが出ている日本のような地域と、労働者階級の力によって、新自由主義がなかなかうまくいかないフランスなどヨーロッパ諸地域と、新自由主義的手法により格差拡大しつつものすごい成長の続く中国、新自由主義によって地域や地場産業を墓いされグローバリズムに反発してイスラム原理主義が台頭してきている地域とかです。
 アメリカ経済の危機の下で、日本がこれから、さらに新自由主義の道を進むのか、それとも、自民党開発政治による緩慢な新自由主義に行くのか、それに歯止めをかけ、新しい福祉国家の道へ転換するのか、岐路に立っています。
9条の改憲はどんな日本をもたらすか?
水上) 9条を、それもアメリカの支配下で変えることの愚かさについてですが、例えば内田樹さんなども、改憲論者たちは改憲後の耐え難い現実を直視する覚悟があるのか、恐らく彼らはこの点について何も真剣に考えてはいないのだろうと指摘するように(『9条どうでしょう』)、9条がなくなれば日本社会がどう変質していくかについて、具体例を挙げて分り易くリアルに説いていくことが特に重要だと思うのですが、その点について。
渡辺) そうですね。9条が廃止された事態については、少し想像力を発揮すれば多くのことが想定されます。たとえば、戦後の日本には“軍部”という言葉はないです。これは戦後日本だけだと思うんですよね。戦前には、軍部というのは政治の主要な担い手でした。アメリカ、ロシア、中国では、現在でも政治の主たるアクターです。ところが、今の日本では軍部はない。それは9条があるからです。軍事官僚の国家機構上の地位も高くない。そのため例えばこういうことがあります。組閣の際、防衛庁長官、いまは防衛省大臣になりましたけれども、このポストは、政治家が一番最初に閣僚になるポストです。つまり一番低い地位の閣僚の一つだということです。なぜそうかというと、日本の中で軍事的な力が政治の決定力じゃないと自民党が思っているからです。「戦争をする国」になればこれは変わりますね。
 なぜ守屋が権力を振るうようになったかといえば、日本の軍事大国化、米軍再編のなかでの自衛隊の海外出動、侵攻用の拡充の結果、自衛隊の地位が上がってきたからです。いままでの防衛汚職と、守屋の汚職の内容は違っています。軍事大国化にそった形で守屋さんは非常に力を持ってきているという側面があった。9条改憲はまだできていませんから、軍事予算もGNPの1%に止まっていますが、改憲して外に出るとなったら3%は十分やってくる。なぜ1%で十分かといえば、海外侵攻用兵器を買えないからです。思いやり予算とか、住民用の手当てとかでゼネコンを潤したりしていますが、最も高い兵器は買えないんです。そういう意味では9条改憲をして海外侵攻用の軍隊になるということは、大きく日本の軍事構造を変えることになりますね。
 軍部に話をもどせば、戦前日本では軍部無くして政治は語れなかった。ところが、戦後日本では国民的経験として軍部なんてものはもちろん若い人は知らないし、僕らだって知らない。誰も「軍部なんて過去の話」と思っている。「ないこと」が9条のお陰なんだということ自身はほとんど言われていないが、大事なことだと思います。

■戦争を知らない国民が7割5分の国

 別の事例を挙げましょう。52年間で人を1人も殺したことがない軍隊は日本だけだということも9条との関係で強調すべきことです。どうしてそんな変な軍隊ができちゃったのかといえば、9条があるからです。その結果、戦争体験を持たない人間が7割5分になっている国ができ上がった。もう60歳過ぎた人が戦争を知らないわけですから。こうした事態はアメリカでもアフガンでも朝鮮でもないんですよ。そういう国を守っていくのか、戦争をする国にするのかは僕は大変リアルな問題だと思いますよ。
■軍部を持つと法体系にどんな変化が生じるか?
田中) 今の話ですが、軍部をもつということが日本の法体系全体にも非常に大きな変質をもたらしていくことにもなっていくんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか。
渡辺) おっしゃる通りです。その点で言えば、国家機密法は日本にはないんですよね、まだ。戦力がないわけだから、防衛秘密を固有に守る法律を作りにくかったからです。それで有事法制の武力攻撃事態法の中に挟み込んだり、自衛隊法を改正して中に挟み込んだり、そういう形でいろいろ取り混ぜてつくっているけれども、単行法としてできないんです。ところが、戦前の場合には、日本は秘密保護法の宝庫だった。軍旗保護法とか、国防保安法とか、要塞地帯法とかね、数十の法律がありました。ところがいまは全くそういう法律ができていません。だからいま基地に行って写真をとっても全然問題になりませんけれども、僕らが例えばイギリスやフランスにいってこれをやったら、直ちに捕まりますよ。イギリスなんかでも、平和運動の活動家が僕らを基地に案内するときには、「止まったら捕まるから、止まれない」というのが常識で、写真も当然撮れない。ところが日本では、沖縄の基地に行ってみんなで見学して、写真とって、展望台登ってとやっているわけですから、そういうのはまったく違うわけです。
 国家機密法の体系ができないというのは、9条の問題そのものですよね。アメリカなんかは秘密保護法の未整備にものすごく頭に来ていて、この間のAWACSの、秘密が漏洩されたのもアメリカでは考えなれない。だけど日本では秘密保護法の体系がないので、処罰もうまくできない。戦前の場合には、大量の秘密保護法制の下で基地よりも高いところに家を建てるのは、呉でも横須賀でも問題になった。いまの日本ではそういうことをほとんど考えないですむというのが常識になっていますし、基地に反対運動をやるときに、そういうことでとっ捕まるということを気にしないでできます。こうした事態は法体系が変わったら、非常に変わりますよね。
田中) 分りました。長時間、広範囲にわたってお話頂き、ありがとうございました。


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