スコープNIU

山家悠紀夫さん 本 格差社会の中の金融の
あり方を考える


暮らしと経済研究室・元神戸大学大学院教授
山家悠紀夫さんインタビュー


 「好景気」といわれながら、国民・労働者の生活は一向によくなっていません。金融労働者はリスク商品の販売に追われ、一方で、金融機関への処分が頻発しています。こうした状況をどう考えるか、山家悠紀夫さん(暮らしと経済研究室・元神戸大学大学院教授)にお話を伺いました。(聞き手 全損保吉田委員長)

今回の「景気回復」の特徴
「好景気」でも生活が落ち込んだまま 原因は構造改革

吉田 最初に、今の「景気回復」をどう見たらいいのか。先生は、一昨年出された本(岩波新書『景気とはなんだろうか』)の中で経済の構造が変わってしまい、景気がダイナミックに回復していかない構造になったと指摘されました。今まさにその通りの状況になっていると思います。
山家 今の「景気回復」の特徴の1つはきわめてゆっくりとした景気の回復だということです。GDPの増加は景気の谷底から見ても6%から8%くらいでほんのわずかしか増えていない。「いざなぎ景気」に比べるのはおこがまし。いざなぎは60%も増えています。2つ目は、景気回復を引っ張ったのは圧倒的に輸出だということです。国内需要はほとんど増えていない。輸出のほうは50%以上増えています。
 3つ目の特徴は、企業がすごくよくなったということです。企業の経常利益などは、谷底の2002年度と比べて2004年度は倍近くにまで膨らんでいる。その反面、サラリーマン所得は、谷底より落ち込んだままです。こういう3つの特徴があります。
 これはこれまでになかったことです。今までの景気回復では輸出が回復すると企業部門がよくなり、ベースアップや雇用の改善につながり、家計部門がよくなり消費がよくなるという良い循環が生まれた。今回はそうならないで、輸出で儲かった企業はそのまま内部にお金を溜め込んでいます。輸出関連企業の収益と、その株主の配当、企業の役員報酬が増えるにとどまっている。
吉田 なぜそうなってしまったのでしょうか。
山家 私は、構造改革の影響が大きいと思います。構造改革は、企業は株主のためにあるという考えで進められています。儲かったら、配当を増やし、留保を増やして企業価値を高め、株価が上がり株主に利益をもたらす。利益を従業員に還元したり外に出したりするのは経営としてよくないという考えです。
 それから構造改革で、非正規の雇用を雇いやすくする改革が行われ、企業はどんどん正規労働者を賃金の安い非正規の労働者に置き替えました。そこで、利益が出てもそれが従業員や外に流れていかない構造になりました。

「労働ビッグバン」はさらに景気をゆがめる

吉田 そうすると、今の「景気回復」が、この延長線上で進むと、どんなことが起こってくるのでしょうか。
山家 政府は企業がよくなれば、人々の生活もよくなると言いますが、戦後最長の景気拡大が続いても、まだ働く人々に還元されていない。しかも、今度の経済財政諮問会議で「労働ビッグバン」が言われ、いっそう安上がりの労働力で、長時間労働を可能にし、いつでも首を切れるようにしていこうという力が働いています。そちらにもっていかれると、景気はよくなっても生活はよくならない方向がますますはっきりしてくると思います。


金融はどう変わったか
貧しい人々を切り捨てる金融

吉田 経済が、そうした姿に変えられる中で、どういう金融システムを作っていこうとしているのでしょうか。金融機関はどういうことで儲けると描かれているのでしょう。
山家 金融は橋本内閣の「金融ビッグバン」あたりから新しい変化が始まったのですが、大きい変化は2つあります。ひとつは規制緩和で自由競争をさせ、市場が良いと判断した金融機関が生き残り、魅力がないと判断したところは落ちていくという競争の世界に金融機関が投げ込まれた。
 もうひとつは、これまでの金融機関は資金の仲介業務が主たる仕事でしたが、その比重が小さくなってきた。金融機関からお金を借りなくてはならない企業グループも依然たくさんありますが、大企業はそれほど外部のお金に頼らなくなった。その中で、金融の仕事が集まったお金を運用して稼ぐという方向にシフトしていく。このシフトをどんどん進めようというのが金融ビッグバンの二つ目の柱でした。
 今、貯蓄から投資へといわれています。政府は資本取引の規制緩和など、そのためのルート作りを一生懸命すすめています。ライブドアのような新しい会社でも、上場できて一般から資金が集められる道を作ってきました。その中で、銀行は市場競争の中で儲けなければいけないという圧力が今まで以上に強くなり、資金運用業務の手数料で稼ぐ方向にシフトしている。
吉田 その流れが続いていると。
山家 政府はそういうシステム作りを以前からしてきましたが、バブル後の景気がずうっと悪い中でうまくいかず、預貯金が投資のほうに回らなかった。しかし、ここ1、2年景気が多少よくなり、株価が上がりだした。一方で、低金利で預金にはわずかの利子しか付かない。そういう中で、少し流れが変わりつつあるのだと思います。
 ライブドア事件で驚いたのですが、ずいぶんたくさんの人があの会社の株を買っていました。一部、二部の上場企業の株しか買えない状況では、あんなことは起こり得なかった。経営がしっかりしない企業の株も売れるような道を政策的に作ったことが事件の背景にあります。
吉田 構造改革で、例えば累進課税の税率を下げて金持ちの資産を増やし、一方で社会保険とか医療保険が削られる。こうなると、お金の余った金持ちはそれを投信等の投資に向ける、お金のない人も、自分で民間の保険や年金に入らなければならなくなる。構造改革とは、富の偏重と格差拡大を通じて、金融機関にお金が集まる仕組みを総がかりで作っているように見えるのですが。
山家 たくさん稼ぐ人の税負担がずいぶん軽くなりましたから、余ったお金を運用して、もっと稼ごうとします。それほど所得のない人も、社会保障が貧弱になったので、自分で保険や年金に入らなければならず民間金融機関の商売の種が増えたということはあります。また、地道にためていたのではおいつかないから、うまいと思われる話に飛びつく傾向が強くなっているように思えます。先ほどのライブドアなど見ても所得の少ない人が宝くじを買うように株を買っていますね。
吉田 構造改革は「金融機関にお金が流れ込む仕組み」だと見ると、それなりの収入のある人までは民間の生命保険に入るとか、投資信託を多少買うかということはできます。それすらできない貧困層は見捨てられるだけということになります。お金が金融機関に流れ込む仕組みと裏表の関係で貧しい人がさらに切り捨てられていく構図が見えてくるのですが。
山家 そうですね。金融広報委員会の貯蓄に関する世論調査を見ますと、貯蓄ゼロの世帯が2000年には12〜13%だったのが、2006年では23%くらいで、5年間で倍近く増えています。所得が減ったり、就業の機会がないなかで持っている貯蓄を取り崩して追い詰められている。


規制緩和が金融行政を絶対化した
金融機関を生かすも殺すも金融庁次第

吉田 保険会社の保険金不払い問題や、三井住友銀行の優越的地位利用の圧力販売など金融自由化の問題点が噴出して、金融庁が厳罰主義で厳しく対処しています。保険の現場を見ていてよくわかるのですが、不祥事を厳罰に処すのは、それは表面的には自由化のゆがみを正すように見えても、実はそうではない。今おっしゃった儲けのための金融システム作りの、一つのステップと見ているのですが。
山家 ビッグバンから儲けの競争になったとお話しましたが、金融は特殊な商売です。ひとつは、市場での競争に限界があるのです。パソコンとかテレビ、自動車であれば、性能のいい悪いがあって、いい物を開発したところが発展できます。金融の世界では銀行も保険もそうだと思うのですが、桁違いに良い商品はできない。それを競争させるとどうしても無理な競争に流れていく傾向をもってしまう。そこで、不祥事が起きて金融庁が乗り出さざるを得ない。自由化自体にそういう無理があると思います。
 もうひとつの金融の特徴は、銀行などストックの商売で簡単に地盤は変わらない。旧財閥系の銀行はそれなりに借りてくれる会社もあるが、そうでないところは、貸出競争になると劣後してしまう。弱いところは無理をして法に触れることも出てくる。そして、経営が危なくなると、これに歯止めが効かなくなり、行政が支える以外なくなる。その結果生かすも殺すも行政が決めることができる状態になってしまい、金融庁の権限が絶大になりました。ですから、自由化と権力が強くなることには強い関連があると思います。それで、利用者や日本経済全体にとって好ましくない方向へ動いている感じがします。保険会社に、厳罰を下して違反をするなといってもそれには限界があって、結果は強いところだけが生き残って弱いところが淘汰されざるを得ない。

道州制を展望した地銀への再編圧力

吉田 自由化だからこそ金融庁の権力が逆に強まったと。
山家 そう思います。あれこれ規制しないといいながら、ラストリゾートが金融庁しかないわけですから。大銀行は整理がほぼ終わりましたが、地方銀行は、今、強い圧力にさらされていくと思います。先日、竹中平蔵さんが、道州制に対応するには一県一行では多すぎると言っていました。ああいう発想で、金融庁が動き出すと、個別の銀行では抵抗しきれない状況になっていくと思います。行政のプランは少し前までは、一県一行だったと思うのですが、道州制をにらみ、全国で10内外の地域にそれぞれひとつの銀行で、後は全国銀行というイメージかなと感じました。金融庁がどう考えているのか証拠はありませんが、そういう方向にイメージを持ちつつあるように思います。


変質してしまった金融の社会的役割
「国際競争に勝つために」への疑問

吉田 金融庁はしきりに「国際競争に勝っていくために」と言いますが、国際競争の中でわが国の金融をどうしようとしているのでしょうか。
山家 たとえば、アメリカ市場でとか、ロンドンのマーケットでの競争力というのはわかります。しかし、国内の金融に関して国際競争を考えなければいけない状況があるのでしょうか。外資の銀行が出てきてもそちらに預金が集まるとは思えない。保険の第3分野は外資系の保険がテレビのコマーシャルなどを使って伸びていますが、国内の保険全体でそういう競争が本格化するのでしょうか。少なくとも銀行業についてはないと思います。証券業も外資がいろいろ出てきていましたが、リテールの分野からは大体撤退しています。
 国内のマーケットは国内の金融機関が圧倒的なシェアを持っている。そこで、国際競争に負けることは、多分ありえない。保険の第3分野がどう落ち着くのかわかりませんが、旧来型のこまめにニーズを聞きセールスしていくやり方をうまくやっていくことによって日本型の保険会社が生き残る道があると思います。外資系は、テレビコマーシャルで共通商品を売り出すということしかできず、これは限界があると思うのです。
吉田 たとえば東京海上日動はアジアで保険会社を買収して子会社にしています。それは日本の国民にとっては何の足しにもならないですね。
山家 資本として東京海上日動が世界的なビッグな会社になりたいというのは分かりますが、日本国民にとって日本系の会社が海外で活躍することに何の意味があるのか分かりません。国内で余剰を生み出し、海外投資に使うということで吸い上げられるということになりかねません。金融機関の利ざやが薄いことは、産業にとっては、それだけコストが安くなり結構なことなのです。金融機関はそこそこの利益を上げて国内で商売していればいいと思います。

国民・利用者のための改革ではなかった

吉田 そうすると、今の金融行政は、損保では補償機能を守らせる、銀行では仲介機能を発揮して国民経済に役立つ銀行にしていくという、本来の社会的役割とはまったく無関係な方向に進められていると思えてくるのですが。
山家 明らかに逆の方向を向いていると思います。損害保険料率の自由化も、当時の日本の利用者がどれだけ日本の保険会社に不満を持っていたのか。ほとんどなかったのではないでしょうか。それを自由化した結果、非常に不安定な状況が生まれている。消費者、利用者のためになる改革ではなかったと思います。
吉田 経済の構造が変えられ、格差が押し付けられ、儲かる人間が儲かればいいと、金融機関にお金がシフトする仕組みにされてきた。そして、そこで役立つことが金融機関の「社会的役割」というのなら、「社会的役割」の意味自体が根本から変えられているように思えます。
山家 そうです。社会的に意味のある金融業務がだんだん小さくなり、単に金儲けのお手伝いをする分野が膨らんでいる。今そういう方向へ銀行が動いていますが、これからいろいろ問題が出てくるでしょう。預金をどんどん投資信託などに振り替えています。投資信託などは上り調子のときは手数料が入りますが、逆になると手数料が激減して収益が落ち込みます。しかも一度投資信託に行ったお金を銀行が預金として取り戻すことは困難ですから、従来の貸し出し業務の基盤を掘り崩しているのです。アメリカの大銀行がその方向に行きましたが、利益があがったときと悪くなるときで浮き沈みが激しいですね。その上、銀行の評価が市場に任されると、株式市場であっという間に銀行の評価が下がって経営危機が生じたりします。銀行は、経済の根幹部分を担う役目をも持っているのですが、その基本的な役割を果たせなくなりかねない。


国民の立場から経済と金融をどう作っていくか
安定した雇用をかちとり、社会的役割を発揮できる金融の実現を

吉田 経済の仕組みと金融というのは密接不可分です。伺っておりますと、今お話いただいたような金融システムは、構造改革で格差社会を作る側にとっては、マッチしたものなのだと思います。そうではなく、これから国民の立場にたった経済を展望したときに、どういう金融システムになっていくべきなのでしょうか。
山家 経済の姿で今一番問題なのは雇用の世界だと思います。正社員が不安定雇用に置き換えられ、一生懸命働いても生活できない賃金に抑えられている状況をまず何とかしなければいけない。必要なことは規制の強化です。労働ビッグバンなどはもってのほかで、企業で一年を通じて働く人はきちんと社員として雇うのが当り前というルールを作っていくべきです。少なくとも1日8時間、週5日間働いたら生活できるシステムにしていくべきです。
 次に社会保障制度で、老後の年金問題、病気のときの医療保険をきちんと再構築してカバーできる社会にする。そういう方向へ経済全体を変えていかなければいけない。
 その中で国民の金融資産を安全に預かり、多少なりとも利子をつけて返すような金融機関をきちんと育てる。資金の不足している企業がかなりありますから、そこにお金を供給できるようにする。保険ですと色々な災害などに対応できる本来業務をきちんとできるようにする。儲けや自己資本比率だけを基準に市場が評価するシステムを変えていく必要があります。アメリカですと地域にどれだけ融資をしているか、その融資はルールに基づいているかチェックする法律があります。日本でも、中小企業家同友会が提案している金融アセスメント法のように金融機関が本来の仕事をきちんとやっているかどうかを、中立的な機関が評価をして行政がそれを重視にするシステムを考えていくべきです。

金融の労働組合に求められているもの

吉田 そこでは労働組合にどんな役割を期待されるでしょうか。
山家 組合は、金融機関のあるべき方向を打ち出して、経営を動かしていく中で働き甲斐のある金融をめざすことが求められているのではないでしょうか。それと、金融機関は圧倒的に非正規労働者が増えてきていますから、それを正規化していくとか、そういう人たちをも労働組合が包み込んで、処遇を合わせて改善していく取り組みが求められます。
吉田 先生のお話を伺って、格差社会を変えていくことと金融の役割を健全化することがつながっていることがはっきりしました。労働組合をやってきて、感じていることは、職場でおかしいことをおかしいと感じ合うことができて、その輪の広がっていくスピードが速くなっているということです。「おかしいよね」と声を上げれば前進が生まれるという手がかり感があります。ですから、労働組合が職場でおかしいことを「おかしい」と声を上げる状況をどうつくっていくかにかかっていると思っています。


(このインタビューは「金融の仲間」新年号に掲載されたものです)


このページのTOPへ