2011年日本平和大会in沖縄
沖縄から全国へ 米軍基地も軍事同盟もない
憲法の輝く日本を

ピースパレードに参加した全損保の仲間
ピースパレードに参加した全損保の仲間


 「沖縄から全国へ 米軍基地も軍事同盟もない 憲法の輝く日本を」――2011年日本平和大会が11月25日から3日間、沖縄県那覇市を中心に開催されました。47都道府県代表と海外からの代表を含め1,600名が参加し、平和な日本と世界をめざすとりくみを交流し合いました。全損保からも4名が参加しました。

 いま、沖縄では、県知事選、名護市長選などで示された県民の意思が、仲井真県知事をして「辺野古への基地建設は無理」「普天間基地は県外移設」の言明を生み出し、その後も普天間基地へのオスプレイ配備反対、高江地区周辺への米軍ヘリパッド建設反対など県民ぐるみのたたかいに発展してきています。そして、アメリカ議会では、イラク・アフガン戦争の戦費拡大で莫大な財政赤字を抱え、軍事費削減要求が高まるなかで、沖縄県民の反対世論を前にして「基地建設は無理」という声も高まり、さらに、新基地建設と一体のグアム基地増強関連予算の削減が、上院で決定されています。

開会総会 平和への思いをアピール
開会総会


平和への思いをアピール


名護市稲嶺支庁の決意に呼応してパネルを掲げた
名護市稲嶺市長の決意に呼応してパネルを掲げた


 今年の大会は、こうした沖縄とアメリカが変化する一方で、日本政府が旧態依然とした対応しかできないという構図が誰の目にもはっきりしたなかで開催されました。
 大会では3日間のスケジュールを通じて、海外代表が自国に駐留している米軍がもたらしている住民被害の実態や平和への思いを語り、日本各地の代表からもこれまでのとりくみの成果が報告されました。また、シンポジウムや分科会などで、基地のない平和な日本と世界をどうつくっていくのか、新防衛大綱の危険な内容と憲法9条を守るとりくみ、原発・核兵器をなくすとりくみなどが意見交換されました。
 大会の最後に、来年は東京・横田基地近辺で開催されることが全体で確認されました。
 平和と民主主義は、労働者の大きな連帯がなければ守ることはできません。全損保は、このようなとりくみにも積極的に参加していきます。


参加者の声
沖縄県民の切実な願いを知る
日動外勤支部・米沢谷さん
 「動く分科会」の南部戦跡めぐりに参加しました。沖縄南部の悲しい戦争の歴史、県民の15万人以上(県民の4人に1人が犠牲)が戦死し、軍人よりも住民の戦死者が多かったことなど当時の状況を聞きながら南部戦跡(ひめゆりの塔・魂魄の塔・平和祈念公園・アブチラガマ)を巡りました。
 沖縄戦は本土決戦準備の時間かせぎであったこと、日本兵が地域住民に対し米軍に投降することを許さず、死の道連れにしたことは知っていましたが、沖縄戦の降伏調印がおこなわれたのが、日本敗戦3週間後の9月3日であったことを初めて知りました。
 3日間の大会に参加して、平和と自然を守ることが沖縄県民の切実な願いであること、悲惨な過ちを繰り返さないよう平和を発信している沖縄であるにもかかわらず、在日米軍基地の75%が沖縄にあり戦後66年も経った今でも米軍戦闘機などによる危険に県民が脅かされていることへの矛盾を感じました。
海を守る信念を実感する
大阪地協・長田さん
  動く分科会には、普天間基地移設問題で移設先の候補地にされている辺野古と、「ヤンバルの森にヘリパッドはいらない!!」と座り込みを続けている東村高江地区に行ってきました。
 地元のおじい・おばあたちは「沖縄戦が終わったあと、地上は焼け野原で食べるものもなく、どうしようもない時にこの海から魚や貝などを獲って命をつないだ。この海から命を貰っているのだから自分たちは人柱になってでもこの海を守るんだ」と言っています。
 辺野古でも高江でもたたかっている方々はみなさん明るく元気で、励ましに行った自分たちが逆に元気をもらいました。そこに住んでいる当事者は少数であっても、「自分たちはまちがったことはしていない」と信念を持って、広く訴えていけば米軍や日本政府のようなとてつもなく大きな相手とたたかっていけるんだということを改めて実感しました。

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