損保平和交流集会・損保従業員原爆犠牲者慰霊祭

平和への思いを新たにする
原爆の非人道性を認識しあった損保平和交流集会
原爆の非人道性を認識しあった損保平和交流集会


 8月5日・6日、全損保は原水爆禁止2025年世界大会に連帯し、広島において損保平和交流集会・損保従業員原爆犠牲者慰霊祭、慰霊碑巡りにとりくみました。交流集会には36名が参加し、慰霊祭に40名が参列、慰霊碑巡りにも18名が参加しました。

【8月5日 損保平和交流集会】
 損保平和交流集会には、組合員、友好労組およびOB合わせて36名が参加しました。
 最初に原爆で亡くなられた損保従業員はじめ、すべての被爆者に黙祷を捧げました。
 続いて主催者あいさつをおこなった全損保浦上委員長は、全損保が結成以来、人を大切にする労働組合として平和と民主主義を守る運動に注力してきた歴史、また戦時中、損保が国家統制に巻き込まれ、社会的役割を果たせなくなった苦い経験から、戦後「損保は平和産業」の思いで復興させていった歴史にふれ、一人でも多くの組合員が平和について考え行動することの大切さを語りました。そして、全国の組合員、OBに呼びかけとりくんだ「折り鶴」は10,000羽を超えて集まり、運動が大きく広がっていることを紹介しました。

講演の花谷さん(損保平和交流集会)
講演の花谷さん
(損保平和交流集会)

 その後の学習会では、広島県原爆被害者団体協議会の花谷昌孟(はなたによしたけ)さんをお招きし、自らとご家族の被爆体験を中心とした講演を受けました。
 冒頭、花谷さんは、「原爆が投下されて80年が経ちましたが、被爆者はいまだに苦しんでいます。自らの被爆体験を伝えることで核兵器を無くす運動に少しでも貢献したい」と10年前から小学生や中学生への語り部活動を続けていることを紹介しました。そして、原爆投下直前には、アメリカ軍の戦闘機が何度も飛来し、そのたびに防空壕へ避難していたと語り、原爆投下時にご家族がどこでどのようなことをしていたかなど詳しく説明されました。
 そのなかで、爆心地から1.3km地点にあった逓信局で被爆し、体中に斑点ができ、髪の毛が抜け落ち血を吐きながら20日後に亡くなった2番目のお姉さんのことをお母さんが残した手記から説明されました。そのうえで、3.5q以内の人が火傷を負った「熱戦の被害」、風速370メートルで2q以内の家が破壊された「爆風の被害」、人間の細胞を壊し様々な病気を発症させる「放射線の被害」を説明し、「特に放射線は、30年経ってから発症する人もおり、今苦しんでいるほとんどの人が放射線の被害です」と、通常爆弾とは違う原子爆弾の威力と恐ろしさを語りました。
 最後に、「太平洋戦争後も朝鮮戦争、ベトナム戦争など核兵器が使用される危機が何度もあったが、被爆者が被爆の実態と核兵器の非人道性を訴え続けてきたから使用されていない」と強調し、そうした被爆者の運動の積み重ねが昨年のノーベル平和賞受賞につながったとし、「今後も核兵器廃絶と恒久平和を願いながら若い人たちに被爆者の体験を語り続けたい」としました。

 講演を受けて、各支部・独立分会・OBの代表からの発言では、講演の感想や平和への思いなどが語られました。その後、集会アピールを採択し、禹副委員長の閉会あいさつで閉会しました。


<参加者の感想より>
学生時代、教科書で学んだり、この時期になると映像で見たりということはしてきましたが、生の声、実体験をお話しいただけたこと大変貴重でした。非常に重い話ではありましたが、必要なことであると感じます。今後も続けていただきたいです。
被爆者の方の実際の声を聞いたことは無かったため大変貴重な経験となりました。8月6日当日、ご家族の方の話など、本当に気が気ではなく辛かったであろうと感じます。話したくないであろう内容であるにも関わらず、話してくだった体験談は、私たち一人ひとりがまわりの仲間にも伝えていかなければならないと思います。
語るのも、思い出すのもつらいと思うことをよくお話ししていただきました。地図を指しながらのお話はリアルでした。80年という長い年月の過去の出来事を絶対忘れてはいけない事実。だからこそ今その出来事の上に立って世界から核兵器の廃絶を訴え続けなければならないと思いました。


【8月6日 損保従業員原爆犠牲者慰霊祭】
浦上委員長が主催者あいさつ(慰霊祭)
浦上委員長が主催者あいさつ(慰霊祭)
 8月6日、8時20分より全損保慰霊碑前で損保従業員原爆犠牲者慰霊祭を開催し、各支部・独立分会の代表者、組合員、友好労組およびOBなど40名の仲間が参列しました。
 損保従業員89名をはじめ原爆の犠牲者となられたすべての御霊に黙祷を捧げ、全損保浦上委員長が「毎年続けているこの慰霊祭が全損保の平和のとりくみの中心です。今後も組合員が、この時、この場所で平和の大切さを感じることを続けていきたいと思います」と主催者あいさつをおこなった後、参列者一人ひとりから献花がおこなわれました。
 各支部代表からの献花と参加者が手向けた小菊の花とともに、全国の組合員の平和への思いがこもった10,000羽を超える折り鶴が慰霊碑を覆い、参列者全員が平和への思いを新たにしました。

慰霊碑前で黙とう(慰霊祭) 平和を願って(慰霊祭)
慰霊碑前で黙とう(慰霊祭) 平和を願って(慰霊祭)


広島の組合員説明に聞き入る参加者(碑巡り)
広島の組合員説明に聞き入る参加者(碑巡り)
【同日 慰霊碑めぐり】
 慰霊祭終了後、代表派遣の人を中心に18名が参加して慰霊碑めぐりをおこないました。
 「全損保の碑」、「峠三吉の詩碑」、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」、「原爆の子の像」、「島内科(爆心地)」などを巡り、事前に準備してくれた現地組合員の説明を聞きながら、碑にまつわる歴史や建立の思いなどについて学び、平和の尊さについてあらためて考える場となりました。



1万羽の折り鶴で埋め尽くされた全損保慰霊碑
1万羽の折り鶴で埋め尽くされた全損保慰霊碑




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